日本では、シングルマザー家庭の約半数が相対的貧困状態にあるという深刻な現状があります。
それにもかかわらず、インターネット上のニュース記事のコメント欄などでは、シングルマザーの貧困に対して「自業自得」「ざまあみろ」といった心ない言葉が投げかけられることがあります。
こうした批判をする人たちは一体どのような本音や考えを抱えているのでしょうか?
以下では、シングルマザーの貧困を巡る自己責任論や鋭い指摘について掘り下げ、最後に肝心な子どもの未来に目を向けます。
シングルマザーの貧困を「ざまあ」と罵る人たちの本音
ニュースのコメント欄などでシングルマザーの貧困に嘲笑や非難を浴びせる人たちの背景には、いくつかの共通した考えや誤解が存在します。ここでは、そうした人々の本音と思われるポイントを3つに分けて説明します。
その1: 離婚や未婚の母という選択=「自業自得」という思い込み
「好き勝手に離婚してシングルマザーになったのだから貧困になっても自業自得だ」という趣旨の指摘は、典型的な自己責任論による非難です。しかし、この思い込みは現実を反映していません。
実際には、シングルマザーがその立場に至る理由の多くは本人のわがままではなく、やむを得ない事情によるものです。例えば、夫からのドメスティックバイオレンス(DV)や経済的虐待、生活費を入れないなどの深刻な問題に直面し、安全や子どもの welfare のために離婚を決断したケースは少なくありません。
厚生労働省の調査によれば、シングルマザーの約8割は配偶者との離別(離婚)によってひとり親家庭になっています。決して「気ままに離婚した結果貧しくなった」という単純な話ではなく、むしろ暴力や放任から逃れるための苦渋の選択だった例も多いのです。
また、日本のシングルマザーの約87%は母子世帯(母と子)であり、未婚の母(未婚で出産)も一部いますが大多数は結婚して子どもをもうけた後に何らかの事情で離婚しています。離婚や未婚の背景には個々に様々な事情があり、「自己責任だから貧困になっても仕方ない」という一言で片付けるのは乱暴です。
それどころか、そのような冷笑は、当事者の心を深く傷つけ追い詰めるだけでなく、問題の解決につながらない非建設的な態度と言えます。
その2: 「税金に頼って楽をしている」という偏見
シングルマザーへの批判には、「どうせ生活保護や手当で楽をしているのだろう」といった偏見もしばしば含まれています。確かに日本にはひとり親家庭を支援するための公的制度があります。しかし、現実には大半のシングルマザーはそれらに安易に頼ってはいません。
厚生労働省のデータによれば、母子世帯で生活保護を受給している世帯は全体のわずか1割程度(11.2%)に過ぎません。貧困状態にある母子世帯は約半数にのぼるにもかかわらず、その多く(9割近く)は生活保護を利用していないのです。つまり、ほとんどのシングルマザーは自力で働き家計を支えようと必死に努力しているのが実情です。
実際、筆者が知る限りでもシングルマザーたちは子どもを養うために昼夜懸命に働き、節約に工夫を凝らし、自立しようと努力しています。例えば、真冬でも暖房費を切り詰めたり、自分の食事を減らしてでも子どもの給食費を捻出したりといった切実な生活の知恵を絞っている家庭もあります。
それにもかかわらず、「楽をしている」どころか日々生活と育児の両立に追われている母子家庭の現実を知らずに、「税金の無駄遣いだ」と決めつけるのは筋違いと言えるでしょう。むしろ、公的支援を受けるべき貧困家庭が遠慮や偏見から支援を十分活用できていないという指摘さえ専門家からなされています。経済的に困窮していても生活保護を申請しないシングルマザーが多い背景には、「自分で何とかしなければ」という強い自立心や、世間からの偏見を恐れる気持ちがあると分析されています。
その3: 「努力不足・怠けているだけ」という誤解
シングルマザーの貧困に対して、「怠けているから貧乏なのでは?もっと働けばいい」という調子の批判もよく見られます。しかし、これも事実に反する大きな誤解です。日本のシングルマザーの就労率は約86.6%にも達しており、これはOECD加盟国平均の約71%を大きく上回る水準です。
つまり、日本のシングルマザーは国際的に見ても非常に高い割合で働いているのです。にもかかわらず貧困率が突出して高いことがこの問題の深刻さを物語っています。
では、なぜ「働いているのに貧困」なのでしょうか。その背景には、雇用形態と賃金の格差という構造的問題があります。厚生労働省の調査によれば、母子家庭の母の約半数は非正規雇用(パート・アルバイトや派遣など)で働いており、正社員として働く母は約48.8%にとどまります。
非正規では時給が低くボーナスも出ないため、どんなに長時間働いても収入が十分に上がらない傾向があります。また、シングルマザーは育児と仕事を一人で両立させねばならず、子どもの病気や保育園・学校行事のたびに仕事を休まざるを得ないこともしばしばです。
その結果、責任の重い正社員職に就き続けることが難しかったり、短時間勤務しか選べなかったりする状況に追い込まれがちです。事実、母子世帯の平均年間就労収入は約236万円と低く、同じひとり親でも父子世帯(父と子)の平均収入496万円の半分以下です。この差は、女性の賃金水準が男性の約75%と低いことや、育児・家事の負担が母親に偏りやすい日本の社会環境によるところが大きいと考えられます。
シングルマザーの貧困は自己責任なのか?
結論から言えば、シングルマザーの貧困を本人の自己責任だけで片付けるのは適切ではありません。確かに本人の選択や行動も人生に影響を与えますが、それだけでは説明できない社会的・構造的要因がこの問題の根底に横たわっています。
前述したように、多くのシングルマザーは避け難い事情でひとり親となり、懸命に働いても貧困に陥りやすい状況に置かれています。それは個々人の資質や努力の欠如というより、日本社会の制度的・文化的な問題によるところが大きいのです。
まず、日本は先進国の中でもひとり親世帯の貧困率が際立って高い国です。OECD加盟36か国の比較では、子どもがいるひとり親世帯の貧困率は日本がワーストという結果が出ています。一方で、大人が2人いる世帯の貧困率は8~10%程度とされています。この大きな差は、ひとり親家庭だけに特有の困難が存在することを示しています。
その困難の根元にある要因の一つが、ジェンダー不平等です。日本では一般に女性の平均賃金が男性より低く、また子育てや介護といった無償労働が女性に偏りがちです。
さらに、「子育ては母親が責任を負うもの」という社会通念や職場文化が根強く、母親が働きながら子育てしやすい環境が整っていません。保育サービスの不足や長時間労働慣行も相まって、シングルマザーが十分な収入を得るのは容易ではないのです。こうした状況は個人の努力では変えられない部分であり、構造的なハンデと言えます。
もう一つの重要な要因は、養育費制度の不備です。日本では離婚後の養育費の支払いが法的義務ではなく、支払われなくても罰則がありません。その結果、実際に養育費を受け取っている母子世帯は約24~28%程度にとどまり、大多数のシングルマザーは元配偶者からの経済支援を得られていません。
国の調査でも、ひとり親世帯の半数以上が養育費を「全く受け取っていない」と報告されています。本来であれば、両親で負うべき子育ての経済負担が母親一人に集中しているケースが非常に多いのです。これは本人の責任ではなく制度の課題であり、近年ようやく国も養育費不払いに対する強制力を高める方策を検討し始めています。
また、公的扶助や支援制度にも改善の余地があります。児童扶養手当など所得の低いひとり親に給付される手当はありますが、一定の所得を超えると支給が減額・停止される仕組みです。そのため、頑張って収入を増やすとかえって手当が減る「働き損」の状況が生まれる場合があります。
シングルマザー本人も「できる限り自立したい」という思いから懸命に働きますが、現行制度では働き過ぎると支援が打ち切られ生活が安定しないというジレンマがあります。このように、支援制度と就労の両立を阻む制度的な課題も存在します。
貧困シングルマザーへの鋭い指摘
一部の人々がシングルマザーに投げかける批判には、前述した自己責任論以外にも様々な「鋭い指摘」があります。ここでは、貧困に苦しむシングルマザーに向けられがちな代表的な指摘を3つ挙げ、その内容と実情を解説します。(批判的な声をそのまま見出しにしていますが、あくまで世間に存在する声として取り上げ、事実関係を検証します。)
その1: 「離婚したあなたが悪い。家庭を維持できなかった自己責任だ」
これはシングルマザーへの批判でしばしば聞かれる言葉です。一見もっともらしく思えるかもしれませんが、前述のとおり離婚に至った背景には配偶者からの暴力や虐待、モラルハラスメント、経済的困窮など様々な事情が存在します。
円満な家庭を望んでいながら、相手の問題によって生活の安全が脅かされたために離婚を選ばざるを得なかったケースも多いのです。したがって、「家庭を維持できなかったのは努力不足」「我慢が足りない」という指摘は当事者に酷なだけでなく的外れです。
実際、「DVを我慢せずに離婚した自分が悪い」という論調でシングルマザーを責め立てる風潮がありますが、それは被害者である女性と子どもを更に追い詰める危険な考え方です。
大阪で貧困家庭の支援活動を行うNPO代表の徳丸ゆき子さんも、DV被害を受けて離婚した母親たちが自己責任論で追い詰められやすい現状を指摘しています。家庭を維持できなかった背景には個々の深刻な事情があるのであり、一概に本人の責任と断じるのは適切ではありません。
その2: 「母子家庭は優遇されているんじゃないか?」
この指摘もインターネット上で散見されるものです。「母子家庭は税金で楽をしている」という偏見から、支援制度の存在自体を過剰な優遇だと批判する声があります。
しかし、現状をデータで見れば母子家庭が決して十分な支援を享受していないことは明らかです。児童扶養手当は月数万円程度(所得により減額)で、子どもを育てる費用をまかなうには不十分ですし、生活保護に至っては前述のように受給していない家庭の方が圧倒的に多いのです。
また、「母子家庭だから就学援助や保育料減免など色々タダになるだろう」との声もありますが、そうした支援は最低限の補助に過ぎません。例えば、公立高校の授業料無償化や給付型奨学金などは低所得世帯向けにありますが、それでも進学や習い事にかかる費用すべてが免除されるわけではなく、家計への負担は大きく残ります。
ひとり親世帯の子どもの大学進学率や習い事参加率が全世帯平均より低いというデータが示す通り、経済的ハンデから来る教育格差は依然として存在しています。つまり、「母子家庭だから色々タダだろう」という見方は誤解であり、むしろ経済的理由で諦めざるを得ないことが多いのが実情なのです。
さらに、「母子家庭ばかり支援されてずるい」という感情的な批判もあります。しかし、児童扶養手当などの制度は父子家庭も含めたひとり親家庭全体が対象であり、決して母子家庭だけを特別扱いしているものではありません。
支援の目的は子どもの健やかな成長を保障することであって、大人に楽をさせることではない点を理解する必要があります。公的支援は最低限のセーフティネットであり、それすら「優遇」と感じてしまうのは、日本の社会保障がいかに乏しいかの裏返しと言えるでしょう。
その3: 「シングルマザーは甘えているだけだ」
「貧しいのは努力が足りないからだ。深夜でも掛け持ちでも働けば生活できるはずだ」といった批判も耳にします。しかし、この指摘も実態とかけ離れています。前述の通り、日本のシングルマザーは既に約86%が何らかの仕事に就いており、中には昼も夜も掛け持ちで働いている人もいます。それでも貧困から抜け出せないのは、シングルマザー本人の怠慢ではなく働き方と収入に構造的な制約があるからです。
一人で子育てと生計維持を両立するシングルマザーには、時間と体力の限界があります。子どもを放置して長時間働くことはできませんし、子どもが小さいうちは夜間の仕事も難しいでしょう。また、保育園のお迎え時間や学校行事に合わせて働ける職種は限られ、結果的にパートやアルバイトといった融通の利く非正規職に就かざるを得ない場合が多いのです。
その非正規雇用は賃金水準が低いため、フルタイムで働いても生活はギリギリというケースが珍しくありません。実際、母子家庭の平均年収(就労収入)は236万円程度で、これでは子どもと二人の暮らしは決して楽ではないどころか常に節約を強いられる水準です。
「もっと働けば」と簡単に言う人は、シングルマザーたちが既に目一杯努力している事実を知らないのです。なかには過労で体調を崩してしまう母親もいますし、それではかえって子どもを養えなくなってしまいます。
必要なのは個人の更なる根性論ではなく、安心して長時間働ける環境整備や、短時間労働でも生活できる賃金の保障です。批判する人の中には、「自分だって苦労しているのにシングルマザーだけ甘えるな」という心理があるのかもしれません。しかし、誰かを追い詰めることで社会全体の状況が良くなるわけではありません。むしろ皆が安心して働ける仕組みを求めていくことが、生産性の向上にもつながるはずです。
まとめ:家族の形に関係なく貧しさが広がっている
シングルマザーの貧困問題を見てきましたが、これを「本人の自己責任」「特殊な家庭の問題」と片付けることはできません。現代の日本では、家族の形に関係なく貧しさが広がりつつあるのが実情です。
実際、ひとり親家庭ほどではないにせよ、両親のいる家庭でも相対的貧困状態にある子どもは約7人に1人います。リーマンショック以降の不況やコロナ禍による収入減、物価高騰などで、共働き家庭でさえ生活が苦しいケースも珍しくなくなってきました。
非正規雇用や低賃金労働者の増加により、「まじめに働いても貧困」という状況はシングルマザーだけの問題ではなく社会全体の問題となっています。
こうした中で、「シングルマザーだから仕方ない」「自分で選んだ道だから助ける必要はない」という冷淡な視線がもし社会に蔓延すれば、助けを求める声はますます上げにくくなり、結果的に困窮する子どもたちが救われないまま取り残されてしまいます。
家族の形がどうあれ、困難に陥った人々を支えることは社会の連帯の証であり、ひいては未来への投資でもあります。シングルマザー家庭のみならず、病気や失業、災害など何らかの事情で誰しもが貧困に陥るリスクがあります。つまり、貧困の問題は他人事ではなく、社会全員の問題なのです。
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